川にくらいつく

井伏鱒二の『釣人』は冒頭に佐藤垢石についての長いエッセイと森下雨村の本の序文があるだけで、ほとんど釣りに関係のない話ばかりだった。しかし佐藤垢石に関するエッセイのなかで釣りの名人から井伏鱒二が「川にくらいつけ」と釣りの指南をされるところがあってGWの釣行の間、僕は川の中に立ちながらそのことをよく考えていた。

川について釣り始めてすぐの頃は釣り気に満たされているので、高い集中を保っているのだけど、時間がたつにつれ、あたりも何もないと次第にこの川は魚がいないのではという考えが頭をもたげてくる。自分の釣りの技術よりも状況のせいにしてしまう。たいていそういうときに魚が出てくるのだけど、油断しているから併せそこなったり、あと数センチ、ナチュラルに流れていればフッキングしていたのでは、ということになる。

「川にくらいつけ」というのはその川に魚が居ることを信じて一刻の油断もなく釣りに集中しなければならないということだ。釣りはまったくの趣味でのんびり釣って、そこそこの釣果があがればいいのだけど、のんびりしていたらボウズのことも全然あって、そうなると楽しみにしていた釣りの帰路は疲労だけが積みあがって、虚しい徒労感だけが僕を支配することになる。そんなに数は釣れなくてもいいから25センチを超えるヒレがピンとはったネイティブなヤマメやイワナが釣れればそれ以上のことは求めないのに。あとは、悠然と構えて釣りに向かいたいのに。

しかし釣りで満足しようと思ったら「川にくらいつか」なければならないのだ。釣りを楽しむのは難しい・・・。釣りの道は修羅の道だったよ。

釣人 (1970年)

釣人 (1970年)