釣りと念珠

10月も10日を過ぎた。釣りのシーズンも終わって、季節はすっかり秋に移行した。今年の釣りは振り返るほどもないくらい釣行回数が少なかった。印象に残る魚もあったのだが、なにより釣りに行っていないのは無念だ。

先日、数珠の製作、販売をしている社長さんと話をする機会があった。

もともと数珠は仏具であって、ただお参りをする際に手にかけるものではなく念を唱えた回数を数える際に使っていたということ。念珠とは浄土真宗特有の呼び名で、一般の民衆に広く受け入れられるように念を唱えた回数に関係なく、仏の道に入ることができる(だったかな?)ということで、数を数える必要がなくなって念珠という独特の呼び名にかわったそうだ。

もっと釣りに行きたいという気持ちを強く唱えていれば、僕の釣行はもっと増えたのだろうか。大きな魚が釣りたいと強く唱えたらもっと大きなヤマメやイワナが釣れたのだろうか。

釣行に行く回数はともかく、大きな魚を釣りたいと唱えたところで、満足のいくような魚が釣れるとは思わない。ただ念じ、考えることによって、釣りに工夫が生まれるだろう。フライの選択、ポイントの読み、フライの流し方。状況は刻々とかわり、それに対応していかなければ、思うような釣果はなかなか得られるものではない。まぐれで尺を越えるようなヤマメやイワナは決して釣れないのだ。

来シーズンへのカウントダウンはもうはじまっている。フライを巻いてオフシーズンを過ごそう。