『渓流物語』を読む

mori05022008-05-25

山本素石の『渓流物語』を読了。渓魚に対する愛情はもちろんこの随筆におさめられた各編から匂いたつのだが、それ以上い山奥の暮らす人たちへの憧憬にも似たまなざしが行間にあふれている。特にやがて廃村跡をたずねる下りや、やがてダムに沈むことになるいくつかの山間の村に触れた文章は際立っている。

今でも釣りにいくとこんな山の奥にひとが暮らしていることに驚くことがある。道路も電気もあって、かってとは比べられない暮らしなのだろうが、里からずいぶん川沿いの山道を走ったあとに数軒の民家がぽつねんとたっているのを見ると、平成の時代から昭和に遡ったような気がして時間の感覚が麻痺してしまいそうになる。先祖からの土地に息をひそめるように暮らすということ。しがみつくような暮らしなのだろうか?しかし町の暮らしと天秤にかけたところでしようがない。そう感じること自体が僕の傲慢な思いあがりに違いない。

それにしても各地に道路が整備される前の渓流の豊潤さに目をみはる。もちろんそこへ辿り着く迄にかかった時間は現在の比ではないのだろうが、それに見合っただけの釣果を手にすることができたのだ。アマゴが蠅が湧くようにように川にあふれているなんて想像もできない。川に立つと魚が足にぶつかるとは・・・。一度でいいからその時代の川にたってみたい。

というわけで、今日はこのあと九頭竜方面へ釣りに行く予定。雨が午前中にはあがる予報がでている。雨の感じからするとそうは増水していないはずだ。イブニングにはよい釣りができるに違いない。

渓流物語

渓流物語